神農本草経──最初の記載

紀元1〜2世紀に成立した中国最古の薬学書『神農本草経』は、365種の生薬を上品・中品・下品の三等級に分類した。人参は最高等級の「上品」に分類され、「五臓を補い、精神を安んじ、魂魄を定め、驚悸を止め、邪気を除き、目を明らかにし、心を開き、智を益す」と記された。

ここでいう「人参」が現在の高麗人参(Panax ginseng)を指すかについては議論がある。古代中国では産地や種が明確に区別されておらず、「上党人参」(山西省産)が最上とされていた時代もあった。

朝鮮半島──国家の宝物

高麗人参が朝鮮半島と強く結びつくのは高麗王朝(918-1392年)以降。「高麗人参」の名はこの王朝に由来する。朝鮮半島の気候と土壌が人参栽培に適しており、品質が卓越していたため、中国への朝貢品の主力となった。

朝鮮王朝時代(1392-1897年)、人参は国家専売品として厳しく管理された。民間の売買は制限され、違反者には厳罰が科された。人参の密売が死罪に当たることもあった──それほどの価値があったのだ。

正官庄の誕生──「正しい官の庄」

1899年、大韓帝国政府が人参の品質管理と流通を一元化するため、国営の「紅蔘製造所」を設立。これが正官庄ブランドの起源である。「正官庄」とは「正しい官(政府)の庄(包装)」を意味し、政府が品質を直接保証することを示す。

現在は韓国人蔘公社(KGC)が運営し、原料の栽培から加工、販売まで一貫管理。6年根紅蔘のみを使用する方針は創業以来変わらない。日本ではスノーデン株式会社が正規取扱代理店として展開している。

日本への伝来と国産化の試み

高麗人参は奈良時代に渡来したとされ、正倉院の薬物目録にも記載がある。しかし、日本での栽培は困難を極めた。

転機は江戸時代。8代将軍徳川吉宗が「人参国産化」を命じ、対馬藩を通じて朝鮮から種子を取り寄せた。日光や会津で栽培が始まり、「御種人参(おたねにんじん)」として各藩に種子が配布された。しかし品質では朝鮮半島産に及ばず、「和人参は高麗人参の代用品」という位置づけが長く続いた。